呪われたサラリーマンの日記

40才を超えた過ぎたサラリーマンは何かと悩むお年頃なんです。

呪われたサラリーマンの日記 その16 サラリーマンの引退時期を考える。

20代の頃は仕事50%、遊び50%で日々過ごしていた。
上司や先輩のいう事をまともに受け取りながら何も疑問に思わず真面目に働いてきた。
少しずつ一人でやれる仕事が増え、働く意欲もあった。
それ以上にキチンと収入が得られる為、車を購入してドライブ等、遊び歩いていた。
年々、少しではあるが給料も増えていった。
仕事がきつくても回復力が高いので全力で働き、全力で遊んだ時期だった。
20代後半に差し掛かると、少しずつ責任ある仕事を担当するようになった。
この時、私は自分の実力不足で始めて仕事につまづいた。
上司には日々、激しく叱責された。
鬱病になってしまうのではないかと思うほど精神的に追い込まれた事も有った。
最終的には解決したものの、上司とそりが合わず他部署へ異動する事になった。
ちなみにこのパワハラ上司は巡りめぐって今も私の上司だ。


30代になると仕事への比率が俄然増してくる。
仕事95% 遊び5%になった。
遊びといっても自分が遊ぶわけではない。
結婚し子供が生まれ、子供と遊ぶ。
その比率が5%。
あとは仕事ばかりしていた。
純粋な自分の時間等無かった。

30歳になり休み無く24時間連続操業している工程の係長に昇進した。
連日残業の日々だった。
当事は4つの工程を担当していた。
故障が多く、稼働率が安定しない工程だった。
また、会社は固定費削減や人員調整が容易という理由から
派遣、偽装請負が流行った時期だった。
我々の工程にも派遣社員がいた。
派遣社員は入れ替わりが激しかった。
仕事を教え、覚えて少し経つといなくなる。
当然、非正規雇用の人間に自社の技術を教える訳には行かない。
毎日、早くても23時くらいに退勤し1時くらいに就寝。
その後1時間~2時間後には会社からのトラブル等の電話が鳴る。
電話対応で解決しない場合は夜間休日出勤していた。
これを数年続けた。
この頃は、私がいなければこの会社は停まる。
他の誰も私の代わりは務まらない。
私がやれるといった事はやる。
やれないといった事はやらなくて良い。
会社を支えているのは私だ。
私がいるから大きな利益を出していると本気で思っていた。
その思い込みが私のモチベーションだった。
一度に沢山の仕事を抱えても裁けるようになったのはこの頃だ。
私が一番収入を得ていたのはこの頃だった。

製品の売上のピークが過ぎた頃、非正規雇用の人が減っていった。
若手正規社員に置き換わり、ようやく自分の技術の継承ができる環境になった。
真剣にOJTを通じて部下育成に取り組んだ。
部下がある程度の仕事をこなせるようになった。
その甲斐があり、あれほど沢山残業していた私が、日々定時時刻で帰れるようになった。
忙しくて出来なかった事にも積極的に取り組み、大きな成果を上げてきた。
10年掛けてようやく職場環境が整ったと思った矢先に他の事業所へ工程が集束されることになった。
同じ製品を作っていた他の事業所との競争に敗れた結果だった。
今まで取り組んできたテーマも何もかもがストップし、工程をたたんだ。
工程をたたんだあと、海外工場へ赴任したが、仕事は工場閉鎖だった。
30代の最後はあまり良いものではなかった。

そして40代の現在。
東日本大震災被災して、新規事業を立ち上げたのも束の間
事業所閉鎖による転属がまっている。
収入は30代前半をピークにどんどん下がっている。
この間に管理職に昇進したので、収入ダウンはある程度の歯止めを掛けたが
だが、私の中の昇格計画からは6~7年も遅れている。
私は会社役員になれるような器の人間ではないと言われたようなものだ。
この先の昇進は間違いなく無いだろう。
結果的に私のサラリーマン人生のピークは35歳頃だった。

その時々の時代背景によって、ピークを迎える時期は人それぞれだとは思うが
我々の世代はピークが過ぎた人が大勢いると思う。

私には一生懸命成果を上げようと努力していた上司や先輩がいた。
そんな彼らの会社や仕事に対する情熱が冷めつつある表情を何度か見てきた。
でも、彼らは部下を育成しながら成果を上げてきた。
次の世代が会社を支えていけるようにするためだろう。
もしかしたら会社に育ててもらったと恩を感じ、それを返しているのかもしれない。
現役ではなく指導者だ。
何か切ない。

私はもっと現役で頑張れると思うしやれる自信がある。
でも会社はそれを私に期待をしていないだろう。
それどころか大きな仕事はもう預けてもらえない懸念がある。
そして会社は役に立たないのであれば私を必要としなくなるだろう。
ここのアンマッチは私がどうすることも出来ない事だ。
もうチャンスは無いかもしれない。
これに気が付くまでの時間が早い人と遅い人でセカンドキャリアに対する備えが変わる。
中にはピークがいつだったのか分らない人もいるだろう。
40代半ばでそれに気が付いただけでも良かったと思うべきだと言い聞かせている。

プロ野球選手は頑張っても30歳~40歳頃には引退時期が来る。
それまでに活躍できれば巨額の収入が得られる世界だ。
サラリーマンは収入は少ないが一度会社勤めを始めれば定年するまで安定して仕事ができる。
お気楽な商売だと思っていた。
しかし現実は違った。
サラリーマンもプロ野球選手とある意味で一緒だった。
どちらも40代は引退し指導者の道を歩めれば良い方だという事がわかってきた。

スーパーサラリーマンかサラリーマン界のレジェンド

こう言われる人だけが役員や社長に上り詰める。
彼らはプロ野球球団ごと買収したりする兵だ。
ある意味でサラリーマン界は恐ろしい世界なのだ。