呪われたサラリーマンの日記

40才を超えた過ぎたサラリーマンは何かと悩むお年頃なんです。

呪われたサラリーマンの日記 その4 異動先は村社会

異動先の元上司、先輩や後輩に色々と探りを入れてみた。
先ずは会社の雰囲気について。
異動先の職場は完全な村社会で構成されている。我々のような余所者を受け入れないのだ。
以前の職場で成功した事を異動先に展開しようとしても受け入れられず強烈な反発があると言う事だ。
組織を持ち、部下を持ったとして、その自分の組織の問題を解決しようとした場合、部下からの直接の反発を喰らう。他にも気に入られなければ自分の直属の上司のその上や前の上司を使い、何としても潰しにかかってくるという。部下に厳しく品定めされるのだ。恐らく、そのような環境で出世してきた上司も同じだろう。
私は全くとは言わないが、今の職場と畑違いの職場に配属される見込みだ。
ポンと異動してきても直ぐに仕事ができるとは思えない。最初は上司から与えられたミッションだけではなく、部下に職場の実情を聞きだし、整理してやることを決めなければ何もできないだろう。
しかし、村社会で叩き上げしか認めない社会だけに非常にハードルが高いようだ。
私は元々、理想や会社の成長、組織論、部下の育成に関心が薄い。これまでずっとモノづくりに携わってきた経験とモノという現物や現場、現実を捉え、できる限り正しく現象を捉えて課題を解決してきた。
つまり、三現主義を基本とした仕事をしてきたので、理想やべき論を強く唱えグイグイ引っぱるのではなく、裏取りをした上で必要な事だけを順序だてて淡々とこなすタイプだ。恐らく人から見れば私には熱意のようなものは感じられず、冷たく見えるだろう。他にも裏が必ずあるから何を考えているのか良くわからないとも言われる。
今回の異動でも異動先でモノをできる限り正しく見なければいけないが、同時に先人である上司部下も見ていく必要がある。これが私のサラリーマンとしてのベースである。よって異動後は村社会の人達との腹の探りあいが待っている。

呪われたサラリーマンの日記 その3 単身赴任についての考察

私に転勤の内示が出た。当然ながら事業所にいる私以外のほぼ全員の社員にも転勤命令が出るのだが、会社本部側で既にスタートしているプロジェクトがあり、それに関係する仕事に就くように言われている。既にスタートしている都合上、私には早めに合流するよう内示が下った。現段階では大雑把な話しか無いが、異動直後の降格等、悪い条件は無いようだ。

 

単身赴任の先輩方に聞いてみると、家族には寂しい思いをさせるかもしれないけど子供が大きくなってきたのならば、それほど心配は要らない。寧ろ、高校1年生まで一緒に住めた方が羨ましい位だ。何処に行っても仕事があるだけマシ。住めば都だから気にする事は無い。というアドバイスを貰った。

確かにアメリカ赴任のときも、赴任先が凄い田舎だったし文化も全然違うので生活の不安はあったが住んでしまえば全く気にならず。結果的にはとても居心地が良かった。インターネットも発達しているから欲しい情報や見たい日本のテレビ放送も全部見ることができた。今思えば日本食に少し不自由したくらいで他は何も不自由が無かったと言っても良いほどだった。

それに比べて国内転勤であれば更に何の不自由も無いだろう。

転勤先の生活については特に心配はしていないのが本音だ。単純に新しい職場にどう馴染んでいけば良いのか、どうやって新しい職場の仕事を覚えていけば良いのかを考えるだけで良い。

あとは、二重生活による生活費の問題だが、これもある程度は会社から補助が出る。贅沢をしなければ何とかなるだろう。

仕事だけだ。内示がでた配属先は今、物凄く忙しい。一時的に寝る暇も無いくらい忙しい可能性がある。

あまり忙しくないぬるま湯の環境で数年過ごした私が第一線で活躍できるのか?という不安がある。

知らない人のほうが多い環境でやっていけるのか?という不安がある。

しかしそれだけだ。

もし、家族との同居や今の住まいの周辺に拘り、転職に走った場合、それこそキャリアを失う。まわりは知らない人だらけ。自分を知っている人もいない。そんな中でゼロから再スタートしいきなり結果を求められる。

このストレスを考えるとそれだけで滅入ってしまう。

家族にも転職の事を話してみたが、それは考え直せと言われている。

全くその通りだ。

転勤、単身赴任を前提にこの先を考えてみる事にする。

呪われたサラリーマンの日記 その2 人生の分岐点を考えてみる

私の勤める会社は大手電機メーカーの子会社だったが、東日本大震災後、親会社から切り離され分社化されてしまった。私は親会社からの出向で子会社で働いていたが、分社化の際に親会社に戻ることができず、分社化後、私は新規事業の量産立上げや新技術を開発して小さい規模ながらも自社製品向けの仕事を作り、何とか部署のメンバーの雇用を繋げてきた。だが、残念ながら所属している部署全体の仕事が上手くいかず、震災復旧はしたものの、終に部署が解散する事になってしまった。
この解散が事業所閉鎖の引き金となった。
事業所内の社員に転勤を命令し、全社員が命令に従う筈が無い。家庭の事情や個人の考え方で転勤が受け入れられない人もいるだろう。しかし働く場所が無くなるので退職せざるを得ない人が必ず出る。要するにリストラだ。
転勤を受け入れれば、マイホームを持っていても住む事ができない。今の事業所が無くなるので二度とマイホームから会社に通うことは無い。家庭の都合で単身赴任しなければならないetc、特にローンが沢山残っているマイホームや家族帯同の可否等、諸々の問題が生じるのだ。こうなってくると、転勤か転職を決めなければならない。
今の時代アベノミクスによる株価上昇と景気回復とは言うものの一向に経済が上向きになった実感が無い。私は40代半の管理職。今の私が今の給与水準やポジションを失う選択があるのだろうか?転職を選べば全てとは言わないがかなりのものを失ってしまう。高校生の子供の学費や住宅ローンもまだまだ残っている。とりあえず目先の転勤かリストラを受け入れて転職するか?これらについて人生の分岐点と位置付けて、どっちにするのかを仕事が暇なので悩んでみる事にした。

呪われたサラリーマンの日記 その1 転勤ばなし勃発

事業所や営業所などが点在する会社に勤めるサラリーマンにとっては常に付きまとう話だ。

6年前、当時の私の部署が事業所集約によって閉鎖される事になった。もう一つの日本の事業所とアメリカ工場のみとなり、私にはアメリカ工場への海外赴任が言い渡された。
海外赴任は何年か経てば基本的には日本に戻る事ができる。日本には必ず帰ってこられるから人生の数年間は良い経験になると言い聞かせ、妻と小学生の子供を連れてアメリカへ赴任した。
赴任後は日本の何処の拠点に配属になるかまではわからなかったが、数年日本を離れる事で別な視点で会社を見ることができる。そういった視点で会社動向を見定めると共に新たな人脈を作りながらアメリカで頑張ろうという思いがあった。
しかし、予想に反してたったの一年で日本に戻る事になり、2年連続の引越しだけで大変な思いをした。幸いにもマイホームを借家にしていたが、借り手がつかず空き家のままだったので、すんなり元の家に戻ることができた。
後日、アメリカの工場閉鎖の為の赴任だった事が判明し後味の悪い赴任になってしまったが、赴任中は明るいアメリカ人の気質に助けてもらいながら、充実した日々を過ごせた事だけは幸いだった。
それにしても私は2年連続で自分の職場が消滅してしまう不幸な出来事に巻き込まれた。
おまけに、日本に戻って3ヶ月経たないうちに東日本大震災が起きてしまい、津波被害でマイホームは大規模半壊。家財道具の大半が使えない状態になったが、やっとの思いで生活できるまでに復旧させた。
ようやく落ち着くかに見えた矢先に転勤ばなしが舞い込んできた。
サラリーマンは平穏無事に生活する事なんて無いんだなとしみじみ感じる毎日だ。